有名人によく出る話が学歴。
どこの高校・大学を出て、高校・大学ではどんな事をしてたのか。
人気アナウンサーになった渡邊渚さんについても同じです。
渡邊渚アナはどの高校・大学に在籍して、
どのような高校・大学生活をしていたのでしょう。
渡邊渚アナの学生時代を調査です。
渡邊渚アナの高校時代
それでは、渡邊渚アナの高校・大学と、
学生時代のことを調べていくことにしましょう。
渡邊渚アナが在籍していた高校は、慶應義塾女子高校です。
私立の雄として知られる慶應義塾大学の付属校で、
慶應義塾中学からの内部進学と、外部受験者がいます。
渡邊渚アナは、高校からの外部受験者です。
慶應義塾大学の附属高校だけあって、
才能あふれる人達が集まってるんだろうな、と思い、
自らを磨くべく、この高校を受験したそうです。
では、実際に高校時代は何をしていたのかを見ていきましょう。
渡邊渚アナの高校時代①ミスセブンティーン
渡邊渚アナは高校2年の時、ミスセブンティーンコンテストに応募しています。
現在もわかるように、渡邊渚アナの美貌は素晴らしいものがあります。
そんな美少女が、慶應義塾女子高校の生徒なんて、才色兼備。
女性の誰しもが羨む事は言うまでもありません。
そんな渡邊渚アナは、
このミスセブンティーンで最終選考の22人までに残っています。
これは、高校時代に誇るべきキャリアとして十分でしょう。
渡邊渚アナの高校時代②ビジネスコンテスト「キャリア甲子園」出場
ビジネスコンテストの概要は以下の通りになっています。
ビジネスコンテストとは、参加者がビジネスモデルを作り、その完成度と新規性により優劣を競うコンテストである。コンテストの主催者によりビジネスプランコンテストともいう。
渡邊渚アナは、高校時代に将来のビジネスモデルについて考え、
ひとつ答えを出していたということです。
渡邊渚アナが、高校時代にして社会生活の在り方について考えを巡らしていた。
才女だからこそ、高校時代から広い視野で物事を考えていたに違いありません。
これも、慶應義塾女子高校の「才能あふれる同級生」の影響です。
渡邊渚アナの高校時代③部活・その他
渡邊渚アナは、高校時代にバレーボール部に所属していました。
未経験での入部だったため、レギュラーにはなれなかったものの、
のちに、再びバレーボールに触れることになることにより、
大きな意味を持つようになります。
もうひとつ、部活なのでしょう。
百人一首の札を取り合う「競技かるた」にも力を入れていました。
「競技かるた」をするきっかけは、
15年の連載、単行本50巻を発刊した名作「ちはやふる」の影響です。
3度のアニメ化、2本の実写映画化と人気作だったことが伺えます。
渡邊渚アナの大学時代
高校時代の話を終えたので、大学時代の話をしましょう。
渡邊渚アナの出身大学ですが、慶應義塾大学です。
慶應義塾大学の附属高校にいたのですから、
高校でよほどやらかさない限りは、エスカレーターで大学へ進めます。
では、大学では何をしていたのか、と言う話をしていきましょう。
渡邊渚アナの大学時代①幻のミス慶応
2016年、渡邊渚アナはミス慶応コンテンストで決勝の6人に残り、
あとは、ミス慶応になるだけというところまで話が進んでいきます。
ここで「幻の」と言う言葉に注目してもらいたいのですが、
実際、渡邊渚アナはミス慶応にいはなれていません。
そして、決勝相手に負けてミス慶応になれなかったわけでもありません。
では、なぜ「幻の」になってしまったのか。
それは「ミスコン実行委員会がやらかした」事により、
「大会自体が中止になってしまった」からです。
勿論、大会が順調に行われたとして、
渡邊渚アナが100%勝ったかについてはわかりませんが、
下馬評では渡邊渚アナがトップだったようなので、
勝てた可能性の高さから「幻のミス慶応」と呼ばれています。
高校に続き、大学でもコンテストでの実績を持っているのです。
渡邊渚アナの大学時代②芸能事務所所属
渡邊渚アナは、ミス慶応コンテスト出場の翌年に才能を見出され、
大学2年生にして芸能事務所に所属、タレントデビューしています。
大学時代には、リポーターやバラエティ番組の出演をしており、
この大学時代での芸能活動を見た人の中には、
アナウンサーになった渡邊渚アナに見覚えはあったかもしれません。
渡邊渚アナの大学時代③サークル活動
高校ではバレーボールに所属していた渡邊渚アナ。
大学では乗馬同好会に所属していました。
ただし、学業・タレント活動・アナウンススクール通学など、
渡邊渚アナの大学生活は多忙を極めたため、
大学での乗馬同好会の活動はあまりできなかったそうです。
まとめ
- 渡邊渚アナは高校時代、ミスセブンティーンで最終選考に残った
- 渡邊渚アナの高校時代、ビジネスコンテスト「キャリア甲子園」に出場した
- 渡邊渚アナは高校時代、バレーボール部に所属していた
- 渡邊渚アナは大学時代にミス慶応に出場、優勝候補に残るも大会自体が中止になる[幻のミス慶応の称号]
- 渡邊渚アナの大学時代に芸能事務所に所属、タレント活動をしていた
- 渡邊渚アナの大学時代に、乗馬同好会に所属していたがあまり活動できなかった
充実した高校・大学生活を送っていた渡邊渚アナ。
この充実した期間が、アナウンサーになる事に繋がっています。
現在、現場からは離れていますが、戻る意思は人一倍でしょう。
「全力で休んで」「全力で戻ってくる」
こんな言い方が当てはまるように思います。
渡邊渚アナの活躍のときはこれからです。
今回の休養にもめげず、アナウンサーの道を歩んで欲しいです。