高橋真麻アナの父親は、言わずとしれた俳優・高橋英樹です。
そして、高橋真麻アナの母親は小林亜紀子と言います。
おや、母親と父親で名乗っている姓が異なります。
母親の小林亜紀子も業界人だったと考えられます。
今回、母親・小林亜紀子、父・高橋英樹との関係の話をします。
高橋真麻アナの母親・小林亜紀子とは何者?
それでは、高橋真麻アナの母親・小林亜紀子とは何者なのか、
そして、母親・小林亜紀子と夫・高橋英樹の関係について見ていきましょう。
まず、高橋真麻アナの母親・小林亜紀子が何者なのかですが、
1970年代に活動していた女優です。
ただし、芸能界にいたのは4年程度で、出演した作品も多くありません。
よって、「こばやしあきこ」という響きを聞いても、
高橋真麻アナの母・高橋英樹の妻とピンとくる人は少ないと思われます。
現に、私の周囲にいる1970年代についてわかる人、
「両親に「こばやしあきこ」って聞いて思いつく人は?」と聞くと、
「恋に落ちての人?」と、ミュージシャンの「小林明子」だけでてきて、
高橋真麻アナの母親・小林亜紀子という存在自体を知らないようでした。
世代の人が知らないくらい、小林亜紀子という人はマイナーだったということです。
というわけで。
高橋真麻の母親・小林亜紀子は1970年代に活躍した女優、
しかし、世代の人でも知らない人がいるくらい、
小林亜紀子の名前はマイナーだったことがわかります。
そんなマイナーな女優・小林亜紀子と、
今でも、多くのテレビ番組に出演、時代劇と言えばこの人。
高い格を持つ高橋英樹との結婚があったのでしょうか。
高橋真麻アナの母親・小林亜紀子と、父親・高橋英樹の関係を見てみましょう。
母親・小林亜紀子と父親・高橋英樹の関係
次は、高橋真麻アナの母親・小林亜紀子と、父親・高橋英樹の関係を見ていきましょう。
馴れ初めとなったのは映画での共演です。
母親・小林亜紀子と、父親・高橋英樹の馴れ初めは、
1971~1972年に放送された時代劇「おらんだ左近事件帖」です。
この時代劇では、高橋英樹が主役の左近、
母親・小林亜紀子は、サブキャラのお福役で出演していました。
この時点で、高橋英樹が相当格上の役者だったことがわかります。
母親・小林亜紀子が芸能界から身を引いたのが1973年。
そして、高橋英樹と結婚したのが1974年です。
結婚のために芸能界から身を引いたのではなく、
実家との約束で、芸能活動の期間を限られたためでした。
ただ、結婚時期を早める理由にはなったかもしれませんが。
母親・小林亜紀子と父親・高橋英樹の結婚が1974年、
そして、長子である高橋真麻アナが誕生したのが1981年です。
この7年間、実は母親・小林亜紀子に受難が訪れていました。
なんと、3回もの流産を経験しているのです。
女性にとって、この経験がもたらした苦しみがいくばくなのか。
男性である私には、想像もつきません。
もちろん、高橋英樹にとっても、我が子が生まれずして世を去ることは、
悲しみでしかないのは事実でしょうが、
母親にとっては、おそらくですがそんなの比にはなりません。
その7年間で3回の流産を経て、ようやく生まれたのが高橋真麻アナ。
3回も流産をしてしまうと、自分の体質なのかも。
母親・小林亜紀子は、一生子供はうめないのでは、
そんな不安もよぎっていたことでしょう。
高橋真麻アナの誕生は、この上ない喜びと救いだったに違いありません。
というわけで。
これが、母親・小林明子と父親・高橋英樹の結婚。
そして、高橋真麻アナの誕生までの話になります。
まとめ
- 高橋真麻アナの母親・小林亜紀子は、1970年代に活躍していた女優[活動期間は約4年]
- 高橋真麻アナの母親・小林亜紀子という人物自体は、女優としてはマイナーなひと
- 母親・小林亜紀子と父親・高橋英樹の馴れ初めは、時代劇「おらんだ左近事件帖」での共演
- 母親・小林亜紀子は1973年に芸能界引退、1974年高橋英樹と結婚している
- 高橋真麻アナは、母親・小林亜紀子が3回の流産の経験を乗り越えた末に生まれた子
私も年齢のこともあるでしょう。
「こばやしあきこ」と聞くと、ミュージシャンの「小林明子」
そして、アニメファンの私的に、声優に「小林晃子」の二人が浮かびます。
高橋真麻アナの母親の「小林亜紀子」は初見です。
今では「元女優・小林亜紀子」というよりも、
「高橋英樹の妻、高橋真麻の母・小林亜紀子」でしょう。
今は、夫婦・親子でのメディア露出もあるようなので、
今後も、上記のイメージが続いていくことになると思われます。